三位一体の主日
2018.05.29
5月27日(日曜日)は、カトリック教会では三位一体の主日でした。
保育園を創ってくださったシスター方の修道会の名前が三位一体の聖体宣教女会で、今も子ども達、保護者の皆さん、そして職員の平和をお祈りしてくださっているシスター方の為に、この日は職員も御ミサにあずかりシスター方の為に祈りを捧げました。

4月に赴任されたロビンソン神父様(スリランカ)、マヘル神父様(アメリカ)も、御ミサの中で今は東京に行かれたシスター、お亡くなりになったシスター方に感謝とこれからも健康でお過ごしになることをお祈りしましょうとお話がありました。

「三位一体」の意味は難しいのですが、
マヘル神父様がピアノに例えて
“ピアノは神様、それを使って弾く人はイエス様、その音色は聖霊で、私たちは癒し、慰め、希望をいただいています”
とお話してくださいました。
保育園を創ってくださったシスター方の修道会の名前が三位一体の聖体宣教女会で、今も子ども達、保護者の皆さん、そして職員の平和をお祈りしてくださっているシスター方の為に、この日は職員も御ミサにあずかりシスター方の為に祈りを捧げました。

4月に赴任されたロビンソン神父様(スリランカ)、マヘル神父様(アメリカ)も、御ミサの中で今は東京に行かれたシスター、お亡くなりになったシスター方に感謝とこれからも健康でお過ごしになることをお祈りしましょうとお話がありました。

「三位一体」の意味は難しいのですが、
マヘル神父様がピアノに例えて
“ピアノは神様、それを使って弾く人はイエス様、その音色は聖霊で、私たちは癒し、慰め、希望をいただいています”
とお話してくださいました。
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卒園生!
2018.03.03

今日は、3月の土曜学校の日でした。卒園しても、こうして保育園に
足を運び「先生!」と声をかけてくれると私達も嬉しくなります。

教会では、ベルナルド神父様から“成長について”お話がありました。
人間に限らず、植物や動物、すべてが赤ちゃんからだんだんと成長していきます。
気付いていなくても成長していること。
それは、周りの人の助け、そして、神様からのお恵み。
それを受け止めている自分。
住んでいる場所が違っていても、外見や性格が違っても、
そこに合ったお恵みを神様からみんないただいている
というお話でした。
いつまでも、周りへの感謝を忘れない1人1人であってほしいと願います☆

平成29年度の土曜学校1年間の締めくくりとして表彰もありました。

最後は、お祝いのケーキでおやつタイム。
サンタクロースって?
2017.12.05
今日は、Aさんの活動で神父様がお話をしてくださいました。
サンタクロースは、聖ニコラスというトルコの司教様で、
いつも困っている方をたくさん助けてあげていました。
その話が広まり、それが “サンタクロースのはじまり”
と言われています。
『物ではなくて、お祈りや優しくすることもプレゼント』
『私達は直接イエス様へプレゼントを渡すことはできないけど善い行いは神様へのプレゼントとして喜ばれる』
『みんなも善い行いをすると世界中の人に愛されるサンタさんのような人になれるよ』
というお話でした。
サンタクロースは、聖ニコラスというトルコの司教様で、
いつも困っている方をたくさん助けてあげていました。
その話が広まり、それが “サンタクロースのはじまり”
と言われています。
『物ではなくて、お祈りや優しくすることもプレゼント』
『私達は直接イエス様へプレゼントを渡すことはできないけど善い行いは神様へのプレゼントとして喜ばれる』
『みんなも善い行いをすると世界中の人に愛されるサンタさんのような人になれるよ』
というお話でした。
イエス様のご誕生
2017.11.09
放蕩息子のたとえ話
2017.07.05
昨日、Aさんはベルナルド神父様からの神様のお話の日でした。
今回のお話は「放蕩息子のたとえ話」
どんなお話なのか、簡単に紹介します。
「聖書ものがたり 365」 (いのちのことば社)より
イエス様は、こんな話をしました。
「ある人に、息子が二人いました。
弟は言いました。
『僕がもらえる分のお金を 今ください。』
お父さんは、お金を分けてやりました。
すると弟は すぐに遠い国に行き、
さんざん遊んで、お金を全部使ってしまいました。」
「食べるものもなく、困ってしまった弟は 家に帰ろうと思いました。
『家に帰ろう。そしてお父さんに謝ろう。』
けれど お父さんは、怒るどころか帰って来た弟を抱きしめました。
そして、『お祝いをしよう。』と言いました。
『帰って来るのを待っていたよ。失ったと思っていた息子が、
見つかったんだ!』」
解釈の仕方は人それぞれです。
子ども達や一緒に話を聞いた職員も感じたものは
それぞれに違うと思います。
その中で神父様は、
神様は一人一人みんなのことを愛してくださる。
間違ったことをしても許してくださる。
ごめんなさい、と謝ること
こうしたら良かった…と気付けることが大切。
それが神様の御心です。
と話してくださいました。


今回のお話は「放蕩息子のたとえ話」
どんなお話なのか、簡単に紹介します。
「聖書ものがたり 365」 (いのちのことば社)より
イエス様は、こんな話をしました。
「ある人に、息子が二人いました。
弟は言いました。
『僕がもらえる分のお金を 今ください。』
お父さんは、お金を分けてやりました。
すると弟は すぐに遠い国に行き、
さんざん遊んで、お金を全部使ってしまいました。」
「食べるものもなく、困ってしまった弟は 家に帰ろうと思いました。
『家に帰ろう。そしてお父さんに謝ろう。』
けれど お父さんは、怒るどころか帰って来た弟を抱きしめました。
そして、『お祝いをしよう。』と言いました。
『帰って来るのを待っていたよ。失ったと思っていた息子が、
見つかったんだ!』」
解釈の仕方は人それぞれです。
子ども達や一緒に話を聞いた職員も感じたものは
それぞれに違うと思います。
その中で神父様は、
神様は一人一人みんなのことを愛してくださる。
間違ったことをしても許してくださる。
ごめんなさい、と謝ること
こうしたら良かった…と気付けることが大切。
それが神様の御心です。
と話してくださいました。

